第一日曜日は入場無料パリ・ピカソ美術館の魅力、天才画家の人生

パリの美術館は、第一日曜日は無料で開放されているところがたくさんあります。オランジュリー美術館やオルセー美術館、ルーブル美術館といったところは、1か月前にオンラインで予約しないと入れませんが、ピカソ美術館は予約なしで入ることができます。

私が訪れたのは14時過ぎ、平日でもランチ後は混雑する時間でもありますが、私の前には5人ほど並んでいて、入り口で荷物を検査してすぐに中に入れたので、待ち時間もほとんどありませんでした。美術館内は、日曜日の午後だったので人は多かったですが、休憩しながらゆっくり鑑賞することができました。

Information

Open Hour 9:30ー18:00(17時15分が最終受付)

Entrance 16 €


パリ・ピカソ美術館(Musée Picasso Paris)

パリのマレ地区に位置するピカソ美術館は、天才画家パブロ・ピカソの生涯と作品を深く知ることができる貴重なスポットです。この美術館には、ピカソが生前描かれ亡くなるまで手元に置いていた彼のお気に入りの絵画、彫刻、デッサン、版画など約5,000点もの作品が収蔵されており、ピカソの芸術的な進化を一望できます。

美術館自体が、17世紀の豪奢な邸宅「オテル・サレ」を改装して作られており、その美しい建築も見どころの一つです。建物内の装飾や中庭は、ピカソの作品と調和し、芸術鑑賞の場として特別な雰囲気を演出しています。

ピカソ美術館の見どころ(ピカソの年表とともに)

ピカソの作品は時代ごとに大きくスタイルが変化します。この美術館では、彼の青の時代、バラ色の時代、そして革新的なキュビスムの作品まで、年代別に展示されています。これにより、彼の画風の変遷や影響を受けた背景を知ることができ、彼の天才性を改めて実感できます。

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)

1881年10月25日 スペイン・マラガで生まれる

1900年 初めてパリに訪れる

1901年 青の時代:パブロ・ピカソのパリ移住後

ラ・セレスティン(La Célestine, La Femme à la taie) 1904 

はじめに展示されているのが、彼がパリに引っ越してすぐ、一緒にスペインから出てきた友人画家カサヘマスが自ら命を絶ってしまい、パリの孤独な生活と相まって、悲しみの青色を使った絵画を描いています。

絵画からは悲しみのほかに、静寂で物事が止まったような、冷え切った寂しい感情が伝わってきます。

1902年 パリに住む

1904年 薔薇色の時代

モンマルトルの洗濯船(バトー・ラヴォワール)に住む

美術収集家のガートルード・スタイン兄弟がパトロンになり、芸術活動のサポートを受ける。

1908年 キュビスム

リンゴ(Pomme)1909
リンゴのサクサクした食感が口の中で想像できます。
マンドリンを持つ男(Un homme à la Mandoline)1911
キュビスムをともに作り上げたジョルジュ・ブラックを思い出します。

1912年 モンパルナスへ移る

1917年 新古典主義(手足が大きく重量感を感じるスタイル)

左:ピカソとオルガの息子・パウロ、ハーレクイン役のポール(Paul en Arlequin)1924、真ん中:煙突を持つ男(L’Homme à la cheminée)1916、右:彼の初めての妻オルガ・・コクローヴァ、膝掛け椅子に座るオルガの肖像(Portrait d’Olga Khokhlova dans un fauteil)1918


1925年 シュルレアリスム

海辺の人物(Figures au bord de la mer) 1931


1930年 彫刻

ピカソは絵画だけでなく彫刻や陶芸も多く残しています。石膏の頭とバスト、ますます目立つ鼻、ボール型またはアーモンド型の目、突き出た胸、細長い首は、遊び心とエロティズムに満ちた無限のバリエーションの対象でした。

マリー=テレーズ・ヴァルテルの肖像(Portrait de Marie-Thérèse Walter)1937
1932年、ピカソはマリー=テレーズ・ヴァルテルと出会い、1女マヤを授かる。
彼女は『夢』のモデルです。
ドラ・マールの肖像(Portrait de Dora Maar)1937
1936年、写真家ドラ・マールと出会う。彼女は『泣く女』のモデルです。

1937年 『ゲルニカ』(ナチスがスペインのゲルニカを爆撃したことを非難する大作)

1946年 画家フランソワーズ・ジローと出会い、1男クロードと1女パロマを授かる

彼女はピカソの愛人の中でたった一人、彼から去った女性。『花の女』のモデル。3階に彼女の作品も展示されています。

1947年 ヴァロリス期、イタリア・ニースに近い南フランスのムージャンに住む

1954年 ジャクリーヌ・ロックと出会い、結婚する

1960年代後半のピカソの油絵作品

色をみっちりと塗られ分厚く絵画からは重みを感じます。はっきりとした色合いに反して、どこか霞んでいるようにも見えます。何か混沌としている内情が渦巻いているような、緊張感も伝わってきます。

1968年 版画

1971年 一筆書きの絵を描く

1973年4月8日 南フランス・ムージャンで死去

ピカソは生涯、絵画2000枚、デッサン11,000枚、版画・陶器・彫刻1000体ほどを生み出しました。
(参照元:Wikipedia、パリ・ピカソ美術館)

個人的な感想

若い画家(Le Jeune Peintre)1972 France, Mougins

ピカソは亡くなる前、『今が一番子供らしく自由に描ける』と言っていました。91歳のピカソは、右手にパレットを持ち、もう片手に筆を持ちながら、白のキャンバスに黒色でこのヒスパニック系の衣装を着た若い少年を描きました。彼の眼は真っ黒に塗られていて、彼は光がない暗闇を見ているのでしょうか。

この絵からは衝動的、エネルギッシュでダイナミック、でも繊細さが基本にあるような気がします。そこから生と死、衝動と葛藤を感じます。生はいつか終わりがやってくるが受け入れがたい、体は老いるけど、それでもまだ衝動があるといった、生物的にも精神的にも葛藤もあったのではないかと勝手な憶測をしてしまいます。

この若い画家はピカソ自身だったのでしょうか。

ピカソの芸術の源ミューズたち

『あなたの顔は興味深い、君を描きたい、私はピカソだ』とマリー=テレーズ・ヴァルテルに出会い、ピカソは彼女をミューズとして描いています。そして4年後、パリのカフェ『ドゥ・マゴ』で威勢のいいドラ・マール(写真家)に惹かれ、彼女を描き始めます。そして10年後ピカソはフランソワーズ・ジロー(画家)と出会い彼女からインスピレーションを受けた作品を残しています。

彼の芸術へのインスピレーションは根底から湧き上がる情熱、その対象が女性たちだった気がします。それが彼が80歳になるまで、その情熱の赴くまま正直に生きてきたのではないかと感じました。

ピカソ美術館を訪れるヒント

館内Mapを見ながら回ると、ピカソの人生と作品をくまなく見て回れます。

日本でいう2階からピカソ展が始まります。3階に上がって半分過ぎたらその奥にある階段で上の階へ。4階を一通り見て、階段で下って3階に戻り、残り半分を見て周る順路になっています。

まとめ

パリにはたくさん素晴らしい美術館はありますが、その中でもピカソ美術館は、彼の多彩な才能とその芸術的進化を一度に堪能できる場所です。絵画だけでなく彫刻やデッサンなど、彼の幅広い作品に触れることができ、またピカソがずっと所持していたお気に入りの絵画、ジョルジュ・ブラックやアンリ・マティス、フランソワーズ・ジローなどの作品を見ることができ、芸術ファンにとっては必見のスポットです。

歴史的美しい邸宅「オテル・サレ」で、ピカソの世界に浸る贅沢な時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。

Information

パリ・ピカソ美術館

入場料:16€ (予約オンラインで可能)

開館時間:9:30- 18:00(17時15分が最終受付)

所要時間:1時間- 2時間

オーディオガイド:5€(英語、フランス語)

クローク:あり(地下、スーツケースや大きい荷物は不可)

作品:5000点収蔵(絵画、彫刻、デッサン、版画、ポエム、陶芸、ピカソの収集作品)

建物:1656年、建築家ジャン・ド・ブイエ

公式サイトパリ・ピカソ美術館

Follow me!