パリのマレ地区、ヴォージュ広場にあるヴィクトル・ユーゴー記念館(Maison de Victor Hugo)は、文豪ユーゴーが実際に暮らしていた家を、彼の人生と創作の軌跡をたどれる場所として開放されています。

代表作『レ・ミゼラブル』や『ノートルダム・ド・パリ』の執筆時代の雰囲気を感じられる室内には、家具や直筆原稿、絵画などが展示され、彼の多才な芸術性に触れられます。

ヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo)

1802年 フランスの東部の町、ブザンソンに生まれる

1821年 幼馴染であり恋人だったアデール・フシェとサン・シュルピス教会で結婚

1822年 文壇デビュー、詩集「オードと雑詩」を発表

1830年 ロマン主義の戯曲「エルナニ」を発表

1831年 パリの大聖堂と民衆を描く歴史小説「ノートル=ダム・ド・パリ」を発表

1832年 この邸宅に引っ越す

1845年 ルイ・フィリップから子爵を叙される

1851年 ナポレオン3世のクーデターに反対、亡命生活へ(イギリス・ジャージー島)

1862年 貧困・正義・赦しをテーマにした大作「レ・ミゼラブル」を亡命先(ベルギー)で発表

1870年 ナポレオン3世の失脚、フランスへ帰国

1885年 パリで死去(83歳)、国葬が行われ、文豪としてパンテオンへ埋葬

ヴィクトル・ユーゴー記念館、偉大な文豪の暮らしと創作が息づく空間

1932年、彼はロワイヤル6番地のロアン=ゲメネ邸の2階(日本式3階)、約280平米メートルのアパートに引っ越しました。賃料は1年間1500フラン(ユーロ)、4回の分割払いのリースで、彼とその家族は1848年まで住みました。
その後、この家の家具などはオークションにかけられ点在してしまいましたが、ここで働いていた床磨き師ギゴン・エルダーが残していた文書、回顧録などから、当時の様子を再現しました。
ヴィクトル・ユーゴー記念館は彼の人生において、3つの主要な段階、亡命前、亡命中、亡命後に分かれています。(参照元:ヴィクトル・ユーゴー記念館)

ヴィクトル・ユーゴーの執筆机(高さ100cmほど)

このデスクは、亡命先のイギリス領ガーンジ島の邸宅で、ガラス張りの展望部屋に、正面に海が見えるように置かれていました。
彼は立ちながら書いていたため、普通のテーブルに足を足したスタンディングデスクになっています。
1870年にフランスへ帰還した後、このデスクはパリ・エロー通りの邸宅の寝室に置かれていました。最後の部屋は、その邸宅のものを、彼の孫から寄付されたものと、当時のままに再現されています。


巨匠同士の作品


オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin)によるヴィクトル・ユーゴーのブロンズ僧、1904-1908、
右:ジュール・バスティエン=ルパージュ(Jules Bastien-Lepage)によるジュリエット・ドルエ(Juliette Drouet)の肖像画、1883

ここには彫刻の巨匠ロダンによる文豪の巨匠ユーゴーの胸像があります。顔が前に項垂れていて、少し苦痛な表情にも見えますが、胸板は厚く、背中はしっかりとしていて芯が通り、迫力があります。
ロダンが胸像を創るとき、ユーゴーは、年をとり疲れてきっているためポーズを取ることを断っています。しかしロダンは彼の生活を見ることができ、その姿をデッサンに納め、そして土を置き、そこから制作しました。

私は思考に耽る人間だ

夜に沈黙の秘密を追い求める

目は深い霧で覆われている

私の言葉はそこなしの闇の中に降りていく

私が発した死の文句は、それぞれの事象に降りかかり、それらは移ろな棺の音を返すのだ

ヴィクトル・ユーゴー

さいごに

ヴィクトル・ユーゴー記念館へ、一歩中へ入ると、木の甘酸っぱいような匂いがして、時間が止まったような空間です。また当時の新聞記事が保存されていたり、インテリアや装飾芸術に興味がある方にもおすすめです。

パリの中心地にありながら静かで落ち着いた庭園、文学と芸術の融合した空間でヴィクトル・ユーゴーの精神に触れられる貴重な体験ができます。
パリ観光に文化的な深みを加えたい方にぴったりのスポットです。

ヴィクトル・ユーゴー記念館(Maison de Victor Hugo)

入場料:無料(特別展は有料)

開館時間:10:00 – 18:00(月曜日休館)

所要時間:30分 – 1時間ほど

住所:6 Place des Vosges, 75004 Paris, France

Metro 1 「Saint-Paul」、「Bastille」から徒歩5分

公式サイト:こちらから

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