Article

『辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展』に学ぶアートと空間の相乗効果

現在の東京駅丸の内駅舎(北口)©Yanagi Shinobu

美術ブロガーの明菜です。ART HOURSでは、「ビジネスパーソンが美術展から何を学べるのか」をテーマに、オフィスから飛び出してアートから学ぶお手伝いをさせていただきます。

さて、今回紹介するのは『辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展』です。東京ステーションギャラリーにて2019年11月24日まで開催されています。

東京駅などを設計した辰野金吾(たつのきんご)は、ヨーロッパから日本に「美術建築」の考えを持ち込んだ建築家です。丸の内で働くビジネスパーソンにとって身近な東京駅についても本展で新たな知識を得れば、クライアントとの話題も増えるでしょう。この記事では次の3つのポイントを紹介しますので、展覧会の理解を助けるヒントにしていただければと思います。

①辰野金吾の人物像
②「美術建築」の考え方と現代との繋がり
③天才とは愚直に学ぶ人

辰野金吾とはどんな人物なのか?

松岡壽《辰野金吾肖像》1921年、辰野家

辰野金吾(1854〜1919年)は東京駅や日本銀行本店などを設計した、明治・大正の頃に活躍した建築家です。工部大学校(現・東京大学工学部)に入学してイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに師事し、首席で卒業した人物です。

「建築家として生まれたからには、日本銀行と東京駅と国会議事堂の三つを建てたい」と話しており、うち2つを実現させた有言実行の男。3つめの国会議事堂もコンペで選んだ案に自ら手を加えて実現する予定でしたが、残念ながらスペイン風邪によって命を落としてしまいます。

辰野は大学を卒業後、イギリスへ留学して建築家ウィリアム・バージェスの下で学んでいます。当時のことは限定的にしか分かっておらず研究不足だったのですが、2009年に彼のスケッチ帖『滞欧野帳』の発見があり、徐々に明らかとなってきました。

本展ではバージェスの影響をきっかけに辰野が目指した「美術建築」を軸に、辰野の功績が語られます。まずは美術建築について理解を深めていきましょう。

恩師バージェスが大切にした「美術建築」の考え方

展示風景

多くの建築は、壁や柱など構造として必要な部分だけでなく、大なり小なり装飾が施されて成り立っています。美術的な装飾が合わさって建築が完成する、との考えに基づくのが美術建築です。

バージェスは建築の美術的な側面まで率いるのが「美術建築家」だと考えていました。そのため、装飾の細部まで自らデザインし、芸術家に制作を依頼しました。普通なら、「装飾は建築家の仕事ではないから、アーティストにすべてお任せ」となりそうですが、真逆の立場を取ったのです。

とはいえ、装飾は「役に立つ合理的なもの」とは言えません。なぜ人間が生活するための建築に、合理的には不要な美術が必要だと、バージェスは考えたのでしょうか?美術をもって建築の完成とするのは、なぜでしょうか?

《辰野金吾滞欧野帳》1881‒82年、辰野家 ©Osako Futoshi

バージェス(1827〜1881年)が生きたのは、18世紀後半頃に始まる産業革命により、工業化が進む時代です。機械を使えば商品を安く大量に生産することができますが、結果として粗悪な商品が出回ることとなりました。

このような背景において、バージェスはゴシック建築など中世ヨーロッパ的な装飾を好み、機械化とは真逆のアプローチを取りました。人間の創造や手仕事を再評価し、生活から失われつつあった美術を、再び生活に取り入れようとした、と解釈できるでしょう。

美術建築の考え方はデザイン分野にも影響を与え、職人の手仕事を重要視するイギリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」に繋がっていきます。この運動が先駆けとなり、ヨーロッパにはアール・ヌーヴォーの動きが広がりました。アール・ヌーヴォーを代表する画家には、ウィーン分離派を率いたグスタフ・クリムトがいます。

ところで、バージェスや辰野金吾が目指した美術建築は、現代の私たちがオフィスにアートを飾るのと似ていると考えられないでしょうか。インスピレーションの源泉になる刺激的な作品を身近に置くことと、装飾を大切にする美術建築には近いものを感じられます。建築やオフィスデザインにアートを導入するのは、人間が求める普遍的な価値なのかもしれません。

バージェスといえば、自分のために建てた邸宅を、現在はレッド・ツェッペリンのギタリスト、ジミー・ペイジが所有していることでも有名です。工業化の流れに逆らい、建築に美術を必要としたバージェスの美意識が、現代のアーティストをも引きつけているのです。

「努力の天才」辰野金吾

《辰野金吾滞欧野帳》第3巻、第4巻 展示風景

美術建築家バージェスに師事したことにより、辰野は美術を学ぶ必要性に気づきました。当時の日本の建築教育では美術は必須でなかったのです。そこでバージェスの支援を受けて美大の講義を取るなど、辰野は熱心に美術を学びました。

イギリス留学中やフランス・イタリアの研学ツアー中のことを記した『滞欧野帳』には、多くのスケッチが残されています。建築の装飾や彫刻などが描かれ、立体の造形に関心を持っていたことが伺えます。

旧唐津銀行「辰野金吾記念館」(辰野金吾 監督、田中実 設計)ART HOURS編集部撮影

帰国後は大学教授を経て、事務所を構えて独立。約200の建築設計に携わっており、現存するものは多くが重要文化財に登録されています。中でも東京駅の設計には、明治から大正にかけての日本の急速な西洋化を背景とした、近代化のシンボルとする狙いがありました。ヨーロッパへ留学した辰野の本領が発揮された建築と言って良いでしょう。

大学を首席で卒業するなど、「天才建築家」として語られることが多い辰野ですが、彼は「努力の天才」と呼ばれるべき人物です。大学に入学する時点での成績はギリギリだったようですが、必死で勉強して首席に上り詰めました。留学中にも『滞欧野帳』に描かれているとおり、できるだけ多くの知見をヨーロッパから日本へ持ち帰ろうとする姿勢が伺えます。

武雄温泉楼門(辰野金吾 設計)ART HOURS編集部撮影

バージェスから「自国の建築に詳しくなること」も同時に教えられた辰野は、単なる西洋かぶれではなく日本の文化や芸術にももちろん造詣が深い建築家でした。佐賀県にある武雄温泉楼門は竜宮城を思わせる外観で、東京駅との違いから辰野のアイディアの引き出しの多さを読み取ることができます。実は両者は全く異なる外観ですが深い結びつきがあり、十二支のうち8つを東京駅南北ドームの天井に、4つを楼門に描くという遊び心もあるのです。

海外経験を始めとする圧倒的なインプットが、辰野独自の設計としてのアウトプットに繋がっていることは確かです。巨匠は最初から巨匠なのではなく、努力によって自分の才能を引き出しているのです。辰野の勤勉さには、私たちも見習うべきところがあるでしょう。

【まとめ】『辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展』をビジネスパーソンらしく味わう

展示風景

展覧会を読み解くヒントとして、辰野金吾と恩師バージェスについてお伝えしてきました。3つのポイントをまとめておきましょう。

①辰野金吾は日本の近代建築史を代表する建築家
②「美術建築」の考えは現代人がアートをオフィスに取り入れることと共通する
③成功する人物は勤勉さゆえに能力を高めている

特に、バージェスや辰野が追求した美術建築と、現代のオフィスデザインの共通点に注目したい展覧会です。アートが生活に密着することで生まれるポジティブな影響は、19世紀には既に「知る人ぞ知る」ような状態だったとも考えられるでしょう。現代のビジネスパーソンも、展覧会やアートからエネルギーを受け取ってみてはいかがでしょうか。

展覧会情報

辰野金吾と美術のはなし 没後100年特別小企画展
会場:東京ステーションギャラリー
会期:2019年11月2日(土)-11月24日(日)
休館日:会期中無休
開館時間:10:00 - 18:00
※金曜日は20:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで
美術館公式ホームページ:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/

文 美術ブロガー 明菜

Related

Page Top
メール メール