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ビジネスにおけるイノベーションの極意を『ピーター・ドイグ展』で学ぶ

(左から)《エコー湖》1998年 テート/《カヌー=湖》1997-98年 ヤゲオ財団コレクション、台湾

美術ブロガーの明菜です。ART HOURSでは、「ビジネスパーソンが美術展から何を学べるのか」をテーマに、オフィスから飛び出してアートから学ぶお手伝いをさせていただきます。

さて、今回は『ピーター・ドイグ展』をご紹介します。本展は東京国立近代美術館にて2020年6月14日まで開催されています(臨時休館あり。詳細は展覧会HPを参照)。ドイグは今日、世界で最も重要なアーティストの一人とも言われている、風景を描く現代の美術家です。今回は日本における初めての個展となりました。

(左から)《若い豆農家》1991年 ヴィクトリア・アンド・ウォレン・ミロ/《ロードハウス》1991年 ヤゲオ財団コレクション、台湾

ビジネスパーソンの皆さんは次の3つのポイントを参考に、知識と経験に基づくユニークな制作を展覧会から学べるのではないでしょうか。

①ピーター・ドイグとは
②懐かしさを覚える絵画の秘密
③ドイグに学ぶイノベーションの極意

ピーター・ドイグとは?

《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》2000~02年 シカゴ美術館

ピーター・ドイグ(1959年~)は主に風景を描く画家で、ヤング・ブリティッシュ・アーティストの大型インスタレーションがアートシーンを席捲した1990年代に画家として出発し、絵画表現を極めていきました。テート(ロンドン)、パリ市立近代美術館、スコットランド国立美術館(エジンバラ)など、世界的に有名な美術館で個展を開催しており、注目されているアーティストです。

ドイグの作品は、どこかで見たことあるような懐かしさと、不思議な世界に誘うようなロマンティックさの両方を備えています。なぜドイグの作品に懐かしさと不思議さの両方を感じることができるのでしょうか。順番に深掘りしていきましょう。

国境や文化の垣根を超える親しみやすい絵画

ドイグの作品には、言語や文化の壁を超える魅力があります。モチーフがわかりやすく、鑑賞者は自分の経験や知識と結びつけて解釈することができるのです。

中央:《スピアフィッシング》2013年 作家蔵

その親しみやすさの理由の1つに、オマージュや引用など過去の西洋美術との接続があげられます。大胆な色遣いは、ゴーギャンやマティスなどからの影響であると言われています。また、《スピアフィッシング》はピカソが描いた《アンティーブの夜釣り》を参照していると本人が発言しています。既存の要素同士の掛け合わせにより、まるで新しい絵画を生み出しています。

さらに、誰もが知っているモチーフのイメージをうまく操っている点も挙げられます。例えば、ドイグの作品に繰り返し登場するカヌーは、国籍を問わず多くの人が知っています。カヌーには静かな水面を漂う優雅なイメージもあり、少しバランスを崩せば転覆する危ないイメージもあります。安全と危険が背中合わせになっており、絵画の物語を空想してしまいました。

《カヌー=湖》1997~98年 ヤゲオ財団コレクション、台湾

ちなみに、カヌーのモチーフは映画『13日の金曜日』のワンシーンから着想したそうです。本作はホラー映画ですが、ドイグは「あの映画の中で最も怖くない瞬間」であり、「物語の文脈から離してみれば、ロマンティックな夢のようなシーンだと思う」と語っています。ドイグが描いたカヌーを見て『13日の金曜日』を連想する方は少ないかもしれません。彼が人とは少し異なる視点からアイディアを掘り起こしていることがわかるエピソードです。

もちろん、ドイグ自身が作品に込めた意味を深掘りすれば、彼が現在拠点を置いているトリニダード・トバゴの歴史など、絵画が内包する複雑な文脈を読み取ることができるでしょう。しかしそのような読み解きとは別に、鑑賞者は自分の記憶を投影して絵画を解釈できることにも面白さを覚えるのではないかと思います。その要因として、誰もが知っているモチーフのイメージを上手く操っていることが挙げられます。

(左から)《影》2019年 作家蔵/《ポート・オブ・スペインの雨(ホワイトオーク)》2015年 作家蔵

一方、ドイグの作品の特異な点は、「既視感ある風景」と「未知の世界」を両立させて描いているところです。彼が描いているものの多くが、現実に見えるものとは異なる光景であることについて、見ていきましょう。

様々な記憶の断片から生まれる幻想世界

風景画といえば、特定の場所を写生することをイメージするのが一般的ですが、ドイグの場合、複数の光景を重ねて描いています。居住経験のあるトリニダード・トバゴやカナダの景色、日本の広告や映画など、あらゆるものからインスピレーションを得て絵を描いているため、風景画でも現実の場所を描いているとは限らないのです。

ドイグは主に自分で撮影した写真を参照して絵を描いていますが、そっくりそのまま写真を写すことはしていません。絵画を描く際に、記憶を喚起したり構図の参考としたりするため、補助的に写真を使っているそうです。

《ラペイルーズの壁》2004年 ニューヨーク近代美術館

例えば、《ラペイルーズの壁》に描かれているのは、実際にトリニダード・トバゴ、ポート・オブ・スペインにあるラペイルーズ墓地の壁です。画家が撮影した写真とほとんど同じ構図の絵画ですが、壁の内側にある建物を削除し、開けた空が描かれています。小津安二郎の映画『東京物語』の静けさを意識していたことから、低めの視点から空を大きく描いたのではないかと思います。その静かな画面に1人の男を配置することで、何か物語が始まりそうな予感を与えています。

《ペリカン(スタッグ)》2003年 マイケル ヴェルナー ギャラリー、ニューヨーク/ロンドン/《オーリン MKIV Part 2》1995~96年 ヤゲオ財団コレクション、台湾

ドイグの作品を一言を表すなら、「現実世界を描いた風景画のように見えるけれど、物語の始まりを期待してしまうもの」ではないかと思います。この絶妙なバランスが鑑賞者を引きつけているのです。突拍子もない夢の世界ではなく、現実世界と夢の世界の接点のような絵画なのです。

《スキージャケット》1994年 テート

絶妙なバランスの絵画表現は、圧倒的なインプットに基づいているのではないかと考えられます。画家自身がトリニダード・トバゴやカナダ、イギリスなど異なる文化に接してきたこと、西洋美術に造詣が深く名作を引用してアップデートしていることなど、自身の経験と知見が絵画制作に現れているのではないか、と思います。

現代のビジネスパーソンにも、同じことが言えるでしょう。既成概念を壊す個性的なアイディアが求められていますが、全く新しいアイディアが0から突然生まれることはありません。ドイグの絵画が圧倒的なインプットに基づいていることと同様、アイディアは、今まで得た記憶や知識の掛け合わせによって生まれるのです。

イノベーションを生み出すには、過去をよく知ることが大切です。ドイグは美術史を深く学んでおり、先人たちが何を成し遂げてきたのかをよく知っていました。彼らの技術や思想を取り入れながら、それらを掛け合わせることによって、彼のユニークな絵画が生まれたのだと感じます。

(左から)《馬と騎手》2014年 個人蔵/《無題(肖像)》2015年 作家蔵

また、彼はものごとを関連づける視点も長けていました。《ラペイルーズの壁》では、自身の故郷と日本の小津安二郎の映画と、全く異なる分野同士のものをつなぐことで、独特な絵画を生み出すことができたのです。これも圧倒的な情報量があるからこそできることです。

このようなバランス感覚は、画家が長い時間をかけて獲得してきたものであり、他の者が容易に真似できない唯一無二の価値になっています。鑑賞者が短時間でドイグの思考を理解して自らの仕事に活かすのは難しいと思いますが、他が追随できないユニークさについて考えるきっかけにしていただけるのではないかと思います。

【まとめ】『ピーター・ドイグ展』をビジネスパーソンらしく味わう

展覧会を読み解くヒントとして、知識と経験に基づくユニークな制作についてお伝えしてきました。3つのポイントをまとめておきましょう。

①ピーター・ドイグとは
②懐かしさを覚える絵画の秘密
③ドイグに学ぶイノベーションの極意

やや専門的になるため割愛しましたが、ドイグの作品の物語性は絵具の扱いの上手さにも支えられていると感じました。絵具をキャンバスに染み込ませて奥行きを演出したり、盛り上げてゴツゴツした印象を残したり、1枚の絵画に油絵の多彩な技術が用いられています。直に見なければ分かりにくい部分ですので、ぜひ会場でドイグの技量もご覧いただければと思います。

展覧会情報

『ピーター・ドイグ展』
会場: 東京国立近代美術館 1階 企画展ギャラリー
会期:2020年2月26日(水) ー 6月14日(日)
休館日: 月曜日(ただし3月30日、5月4日は開館)、5月7日
*2月29日から当面の間、臨時休館(3月17日現在)。詳細は下記の展覧会HPを参照
開館時間: 10:00 ー 17:00 金曜・土曜は20:00まで(入館は閉館30分前まで)
展覧会HP: https://peterdoig-2020.jp

文 美術ブロガー 明菜

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