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コーポレートアートを通じて社員のWellbeingを育む

シミックホールディングス株式会社 代表取締役CEO、薬学博士
京都大学大学院総合生存学館 特任教授
中村キース・ヘリング美術館 館長

中村 和男さん

1946年生まれ。京都大学薬学部卒業後、三共株式会社(現:第一三共株式会社)に入社。世界的に有名なブロックバスターであるメバロチンなどの開発に携わる。1992年に同社を退社し、シミック株式会社の代表取締役に就任。日本初のCRO(Contract Research Organization:医薬品開発受託機関)を創業する。2003年9月より代表取締役会長兼社長に就任。近年は委員として臨床試験や創薬、科学技術振興などの国家プロジェクトにも多数参画している。


古代から日本人はアートの心を持っている

— 中村さんはキース・ヘリングのコレクターであるだけでなく、経営者でもあり、大学院でアート&サイエンス&ヒューマニティについての講義を行う特任教授でもあります。アートについてどのようなお考えをお持ちでしょうか?

中村氏 アートは人間にとって大事なものです。なぜかというと、動物の中でアートは人間だけが持ちえたからです。

人間が誕生し、直立になり手が自由になったことで、人間は洞窟の壁などに動物の絵を描くようになるわけです。そこがチンバンジーなどの動物と人間との違いで、いわば人間の原点。ひょっとすると、言語を持つよりも前にアートを持った可能性があるわけです。

縄文時代に作られた土偶「縄文のビーナス」や仮面の数々は、今見ても驚くくらい大胆で、おおらかで人間性のあるアートです。それくらい、日本人はずっとアートを親しんできました。平安時代には大陸の文化が日本の文化と融合し、四季折々の素晴らしい作品が多数生まれました。そうした歴史を私たちは持っているのです。

かつての日本の企業の多くは、財をなすと日本の工芸品やアート作品を集め、結果として作家を支援し、文化を大事に育んできました。

しかし、昨今は全てにおいて効率を追いかけるようになり、特に企業経営においては「アートを持つなんて無駄だ」という風潮になっています。アートをただ単に貨幣価値で評価し、アート本来の価値も見失われつつあるように感じます。

そうなってしまったのはなぜでしょうか?

中村氏 根本にある一番の問題は、教育体系におけるアートの立ち位置だと考えます。

アートは受験のためのもので、学ぶなら芸大に行かなくてはいけない特殊なものとして扱われている。受験で点数を取るためにアートを選ばなくてもいいし、選んだとしても「ピカソの絵はどれだ、ミレーの絵はどれだ」といういわば紐付けて答えられれば問題がない扱いです。

また、日本の美術館は「ピカソならこの絵だ」というような表現をしたり、代表的なものしか入れていないところも多いでしょう。これがまた、アートの見方をおかしくしている。

どの作家でも作風を作り上げるまでにいろんな表現をしているわけで、だから若い人たちには「まずは代表作に限らず、いろいろ見てごらん」と言うようにしているんです。そうすれば「こんな描き方があるのか」「愛の表現にはこんな方法もあるのか」といったような、いろんな気づきがあるはずなのです。

それに、本来アートというものは「自分の手の中にある粘土で自由にものを作る」というようなことが根本だったはずです。この原点が忘れられていることが残念でなりませんし、それが日本のアートが遅れてしまった原因ではないでしょうか。

今、アートの持つ強さがビジネスや科学を動かしている

— 最近、ビジネススクールや科学の世界でアートを積極的に取り入れています。

中村氏 それは、今のデジタル、AIの時代にゼロからイチを生み出す発想が必要とされてきたからです。世界においてアート的な発想の重要性が叫ばれています。ビジネススクールでもアートを特殊なものとして考えるのではなくアート的な発想がすべてに必要とされ、積極的にアートが教育に取り入れています。

それはすなわち、「想像力」です。アート&サイエンス&ビジネスがなじんでいるのが、今の社会なのです。

新規事業といわれるようなビジネスイノベーションを進めるには、アートの力が必要です。ロジカルシンキングも大事ですが、それにとらわれない発想で物事を進めていくことが必要で、それが今や、あらゆる企業で課題とされ始めているのでしょう。

当社でも、プロジェクトを組む時はその中に出来るだけアート思考のメンバーを入れるようにしています。そうすることで、プロジェクトが創造的に議論されイノベーションが起こるのです。

ただ単に効率化するだけならAIやITに変わります。日本が強くなるためには創造つまりゼロイチを生み出す力が必要です。アート志向はダイバーシティの状況が生まれやすくなり、いろいろな意見が出てきます。これはアートの持つ1つの力であり、面白いところだと思っています。

©Keith Haring

アートには人の心に働きかける強いインパクトがある

— 中村さんはキース・ヘリングのどこに魅力を感じたのですか?

中村氏 元々絵画には興味があって、中でも印象派の作品が好きでした。そんな中で彼の作品に出会って感じたのは、それまでにいろいろ見ていた印象派の油絵にはなかった「なじみやすさ」でした。自分にも描けそうだというか、面白さの中に深さもあり、一気にのめり込みましたね。

実は私は未熟児で小学校三年生くらいまでは体力も無く、いつも走ってもだめ、運動もだめでした。幼稚園も一日入学しただけで、あとは行っていません。みんなとお遊戯した経験もありません。ある意味では落ちこぼれでした。

小学校一年生のとき、全校の写生大会で私の住んでいた市のお城の絵を描くことになりました。私の絵は、なんと市長賞を取りました。

その絵は私自身が決してうまいとは思っていませんでしたので、恥ずかしかったです。

今でも覚えていますが、自分では画用紙いっぱいに子供がお堀で遊んでいる絵を描いたつもりでしたが、実際はなんと画用紙いっぱいに一人の子供の半ズボンとお堀の水だけを描いた絵でした。賞をいただいたものの、とても恥ずかしかった思い出があります。

今では理解できるのですが、個性、つまり自分の見方でいいのだと。

当時の教育ではうまく描くことが望まれていました。私の絵の評価をしてくれたことは、かえって絵に対する劣等感になってしまいました。みんなから絵をからかわれたのを覚えています。

「絵のうまい下手よりも何か訴える、それが個性だ」ということに気づかせてくれたのは、年齢も30歳過ぎてコンテンポラリーアートを見てからです。それからアートを見る目も変わりました。アートが身近になったんですね。

印象派の作品は確かに素晴らしいけれど、どこか自分とはかけ離れていたし、自分の思いを乗せにくかったんです。でもコンテンポラリーアートはそうじゃない。何でもありだし、上手い下手ではなく「こんな感じでいいんだ」と思える部分に自分を重ね合わせることができた。つまり、「自分ごと化」できたんですよ。

— キース・へリングの絵を集め始めたきっかけは?

中村氏 シミックを立ち上げてから、金銭的に余裕ができた時に「自分へのご褒美」として少しずつ彼の作品を買い集めていったのが始まりです。

ある程度の数集まっていくと、「これは私だけのものじゃない」と考えるようになり、世間の皆さんにも見てもらおうという思いから、2007年に「中村キース・ヘリング美術館」を開館しました。キース・ヘリングの作品コレクションを展示する世界で唯一の美術館です。

実はそれまでは、収集した絵はオフィスに飾っていました。でも、最初はものすごく嫌がる社員もいましたね。キース・ヘリングにはセクシャルなテーマを扱った作品も多く、構図なんかも普通ではないものがたくさんあり、私はそれが面白いと思っていたんです。でも社員たちからは「こんな激しいものを飾らないでほしい」と言われたのです。

1つ言えるのは、それくらいアートにはインパクトがあるということでしょう。部屋に家具を置いたとして、たとえそれがなじまなくても嫌がられはしないけれど、アートは違います。挑戦的なものは嫌がられたり、そこにいる人に緊張を与えたりする。アートってやっぱり面白いなと思いましたね。

My America Ⅱ©Wosene Worke Kosrof

「インテリアアート」から「コーポレートアート」へ

アートをどうやって社内になじませてきたのでしょうか?

中村氏 どうなんでしょうね。今では社員は何も言わないので、もう諦めたのかもしれません(笑)。

私がなぜ絵を飾るかというと、やっぱり何かを感じてほしいと思っているからです。現代アート、特にキース・ヘリングのようなポップカルチャーの作品は挑戦的なものが多いですが、その意味はそれぞれが自分自身で解釈すればいい話。身近にそういうものがあるのは楽しいし、それも含めて「アートって大事だ」という考えなんです。

企業でアート作品を飾る場合、アートとインテリアアートという概念があります。インテリアとしてのアートを私は否定しませんが、やっぱり上位概念であるコーポレートアートにまで昇っていってほしいなとは思っていますね。最初はインテリアの一部としてのアートでいいと思うけれど、そこにコーポレートのミッションも含めたアーティストを支援して、その人の作品をメインで置いたり。そうやっていけたら楽しいですよ。

コーポレートアートというのは、社員にとっては選択肢がないんです。好きも嫌いも関係なく、その場所で働かないといけないわけですから。会社として、なぜそのアートを選んだのか、その意味については社員に対して伝える必要がありますよね。その結果、自分たちのミッションや誇りになるようなものを、アートを通じて語れるというのは、かっこいいじゃないですか。私はそんな風に思っています。

Words of Memory X ©Wosene Worke Kosrof

アートには「ハート」がある

— アートをオフィスに導入しようと考える際、「機能性のないもの」を導入することに対して躊躇するケースが多いと聞きます。その点を踏まえて、インテリアとアートの違いをどうお考えですか?

中村氏 簡単です。アートには「ハート」があるんです。機能性を重視するインテリアとアートの一番の違いはそこだと思います。

アートには悲しさも苦しさも全てがあって、それを見抜ける人にとっては作品を見るだけで涙が出る可能性だってあるんです。1つの作品の背景にはいろんなものがあり、それを感じ取れる人がいる。それがインテリアにはないアートの魅力です。

オフィスという場所は、人間の集合体により存在しています。社員、その家族、一人ひとりの健康、そういったものが全て内包されているんです。インテリアは働く環境は作れても、働く人たちの内面までは作れません。でもアートにはハートがあるから、人の内面にまで触れていけるんです。経営者としてそこがわかってくると、ものすごく楽しくなりますよ。

コーポレートアートを通じてそういうオフィスを作っていけると、そこで働く社員やその家族のことをもっと大切にできるし、人間愛のようなものを真剣に考えるようになるんです。それが、私の言うところの上位概念である「Wellbeing」、つまりはハピネスに繋がっていくんです。

持続性のある世の中を作るのにも、アートは必要です。「会社は一代で終わらせてもいい」「M&Aを進めればいい」というような効率性を重視した考え方もあるかもしれませんが、社員がハッピーでい続けられるような持続性のある会社には、やっぱりアートが似合います。

働く場所が何かで潤うとか、アートを通じて何かを大事にしようとか、そういうものが出てくるといいじゃないですか。効率性を重視するやり方は、結局、社員を無視しがちです。アートのような個性のあるものを通じて、決して同一なものではない個性を大切にした「Respect Each Other」の発想、いい意味での仲間意識やチームワークを育んでいけることも、アートの持つ多様性と言えるのではないでしょうか。

© Keith Haring

中村キース・へリング美術館
場所 │ 山梨県北杜市小淵沢町10249-7
開館時間│ 9:00〜17:00
休館日│定期休館日なし
※展覧会情報、開館時間、休館日等の最新情報は下記公式HPよりご確認ください。
http://www.nakamura-haring.com/


文 志村江 / 写真 吉田和生

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