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『ゴッホ展』に学ぶ個性の貫き方とは?ビジネスパーソンが見るべき展示

フィンセント・ファン・ゴッホ 《麦畑》 1888年6月 P. & N. デ・ブール財団
© P. & N. de Boer Foundation

美術ブロガーの明菜です。ART HOURSでは、「ビジネスパーソンが美術展から何を学べるのか」をテーマに、オフィスから飛び出してアートから学ぶお手伝いをさせていただきます。

さて、今回は《ひまわり》で有名なフィンセント・ファン・ゴッホを紹介します。彼のアートは複製画やポスターでも人気があり、モダンなオフィスデザインにも調和するので、親しみを感じている人も多いのではないでしょうか?

耳を切り落としたり、拳銃で自殺を図ったと伝えられるなど、有名なエピソードがいくつもある巨匠ですが、ファン・ゴッホにはまだまだ知られていない事実が盛りだくさん。2020年1月13日まで上野の森美術館で開催されている『ゴッホ展』では、今まで日本ではあまり紹介されて来なかった一面を知ることができます。

印象派や日本との繋がりにフォーカスされることが多い画家ですが、実は『ハーグ派』に大きな影響を受けています。本展は日本では馴染みの無い『ハーグ派』についても掘り下げ、ファン・ゴッホの画家人生の全貌を紹介しています。

ファン・ゴッホが画家になるまで

展示風景

フィンセント・ファン・ゴッホは1853年にオランダで生まれた画家。画家になることを決めたのは27歳の頃で意外と遅く、それまでは大手の画廊「グーピル商会」に務めたり、聖職者を目指して勉強をしたりしていました。

画家を志す一つのきっかけとなったのが、ジャン=フランソワ・ミレーの絵画。ミレーといえば、《落穂拾い》や《種まく人》など農民の生活をリアルに描いた絵画が有名です。ファン・ゴッホはグーピル商会に務めていた頃から、ミレーが描く農民画家に惹かれており、自身も農民画家になることを決意しました。

ハーグ派から受けた影響

マテイス・マリス 《出会い(仔ヤギ)》 1865-66年頃 ハーグ美術館 © Kunstmuseum Den Haag

ファン・ゴッホといえば、《ひまわり》のような明るい色彩の絵画ではないでしょうか? しかし、彼の絵画は最初から鮮やかな色彩だったのではありません。彼のルーツは印象派ではなく『ハーグ派』にあります。

ファン・ゴッホが画家を志して師事したのは『灰色派』とも呼ばれる『ハーグ派』の画家たちでした。ミレーと同様に主に農民画を描いた画家たちです。

ファン・ゴッホは印象派の流れで紹介されることが多いため、本展では『ハーグ派』について学ぶ貴重な機会となっています。ハーグ派の絵画の特徴は、くすんだ色調。それに加え、オランダ南西部のハーグならではとも言える、高い山が無くどこまでも見晴らしの良い風景です。

特に、北海に面した長い砂浜のあるスヘーフェニンゲン地区は、ハーグ派が好んで描いた場所でした。当時、漁師町だったスヘーフェニンゲンは、現在はリゾート地となっています。

展示風景

ファン・ゴッホの《ひまわり》に代表される色調とは全く異なる色使いですが、ファン・ゴッホはハーグ派から多くを学びました。特に親戚だったマウフェからは、画材の扱い方から生きた人間をモデルにすることまで教わります。

知らない名前の画家も多く、もしかしたら展覧会でじっくり見ずに飛ばしてしまう方もいるかもしれません。ですが、ファン・ゴッホが画家になるまでに関わってきた重要な人物ばかりなので、比較しながらご覧になってはいかがでしょうか。

ひっそりした田舎を好み、貧しい人々に自分を重ね合わせ、人や自然を優しく描き出したファン・ゴッホ。彼のルーツは、ハーグ派の絵画から読み取ることができるはずです。最初から華やかな色の絵画を描いていたわけではないのですね。

ハーグ派とファン・ゴッホの関係は、これまで日本ではあまり紹介されてこなかった事実でもあります。本展でハーグ派の絵画を見て、ファン・ゴッホが受け継いだ農民画家の誇りを感じ取ることで、ようやく彼の画業の全貌を俯瞰できたと言えるのではないでしょうか。

印象派への目覚め

展示風景

ポスト印象派として知られるファン・ゴッホは、印象派らしい明るい色彩を用いながらも、独自の描き方を追求します。代表的なエピソードが、同じくポスト印象派の巨匠ゴーギャンとの共同生活です。

1888年、2人はフランスのアルルで2ヶ月ほど一緒に暮らし、正反対とも言える2人の個性をぶつけ合いながら、絵画について議論を交わしました。たったの2ヶ月ですが、ファン・ゴッホは30点以上、ゴーギャンは20点以上の作品を制作しており、2人にとって有意義な時間だったことが想像できるでしょう。

この共同生活も重要ですが、そもそもハーグ派と同じような暗い色彩を用いていたファン・ゴッホが、印象派に傾倒したのはなぜでしょうか? 彼と印象派の出会いは、これまで日本で開催されたファン・ゴッホ関連の展覧会ではあまり語られなかった部分です。

本展では、徐々に印象派の色彩に魅せられていくファン・ゴッホの様子も垣間見ることができます。ハーグ派に学んだ後、パリに移って印象派の色彩に触れ、徐々にファン・ゴッホの絵画は変化していきました。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《パリの屋根》 1886年春
アイルランド・ナショナル・ギャラリー © National Gallery of Ireland

ファン・ゴッホの絵画で最も大きなターニングポイントとなるのが、パリへ移り住んだ1886年です。その頃、パリは印象派の全盛期。モネやルノワールなど鮮やかな色彩の絵画が人気でした。

ファン・ゴッホも印象派の影響を受け、1886年以降は鮮やかな絵画を描いていきます。しかし都会に染まったわけではなく、色彩を開放しつつ、《麦畑》のようにファン・ゴッホが愛する田舎や農民のテーマを極めて行くのです。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《麦畑》 1888年6月 P. & N. デ・ブール財団
© P. & N. de Boer Foundation

本展では、印象派に触発されたファン・ゴッホの画風の変化をじっくりと鑑賞することができます。ファン・ゴッホはパリに出てきてから少しずつ印象派の色彩に目覚め、ゴーギャンとの共同生活でさらに自分らしく絵画をアップデートさせました。

約10年で約850枚の油絵を制作

展示風景

今でこそ西洋美術を代表する画家ファン・ゴッホですが、彼が画家として活動していたのはわずか10年と実は短いです。この短期間に驚くほどのスピードで制作し、油絵は約850点、素描は約1000点にも上ります。

たった10年の画家としての活動が、今日まで栄光として残っていることは、才能だけでなく努力による功績が大きいでしょう。ミレーなどの絵を模写したり本を読んだりして独学で学び、スキルをアップデートしてきたことは、私たちも見習うべき点です。

ファン・ゴッホは37歳でその生涯を閉じますが、本展では晩年に近づくほど作品が力強くなっていくことが分かりました。「生前は評価されなかった画家」として有名ではあるものの、もう少し長く生きていれば名声を確立できたのではないか、と思ってしまいます。

展示風景

ちなみに、ファン・ゴッホの死因について正確なことは未だ分かっていません。唯一分かっているのは彼の腹部には拳銃で撃たれた跡があったことだけで、一般的には「ファン・ゴッホは拳銃で自分を撃ち、自殺した」と考えられています。

ところが、近年には他殺説が浮上しています。自分を撃ったにしては奇妙な銃弾の角度や、ファン・ゴッホの手に火薬が付いていなかったことなどから、他殺と考えることも可能なのだそうです。

繰り返しになりますが、本展では晩年に近づくほどファン・ゴッホの作品が力強くなっていくことが感じられました。自殺と考えるのは不自然ではないか、彼にコントロールできない不慮の事故によって亡くなったのでは、と考察するのも面白いです。

日本とファン・ゴッホの関係

ファン・ゴッホが日本に憧れを抱いており、浮世絵を集めてその構図やモチーフを自作に引用するほど日本美術に入れ込んでいたことは、ファン・ゴッホ好きなら誰もが知ることでしょう。「日本美術は、因習にとらわれた教育や仕事からぼくたちを解き放ち、自然へと回帰させてくれる」と弟テオに宛てた手紙で書いており、西洋絵画の巨匠と同じように敬愛していました。

背景には、19世紀中頃に開かれたパリ万博で日本美術がヨーロッパに紹介され、パリを中心に『ジャポニスム(日本趣味)』が大流行したことがあります。ファン・ゴッホは浮世絵から特に『平面性』に興味を抱き、広い色の面やうねるような筆致で『ファン・ゴッホらしい絵画』を追求しました。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《糸杉》 1889年6月 メトロポリタン美術館
Image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Image source: Art Resource, NY

ファン・ゴッホ晩年の傑作《糸杉》にも、浮世絵の研究の成果が現れていると考えられます。主役の糸杉を大きく配置するものの先端を大胆にトリミングしている点や、近景と遠景を同じ平面にあるかのように描いている点は、日本美術の影響でしょう。

一方で日本にとっても、ファン・ゴッホは特別な画家。バブル景気の頃の1987年には、当時の安田火災がファン・ゴッホの《ひまわり》を約58億円(当時のレート)で購入しています(本作は東郷青児美術館 損保ジャパン日本興亜美術館で常設)。ファン・ゴッホと日本は、時代を超えて相思相愛になったと言えるのではないでしょうか。

【まとめ】『ゴッホ展』をビジネスパーソンらしく味わう

フィンセント・ファン・ゴッホ 《アニエールのヴォワイエ・ダルジャンソン公園の入口》
1887年 イスラエル博物館 Photo © The Israel Museum, Jerusalem by Elie Posner

展覧会を読み解くヒントとして、ファン・ゴッホの人生や絵画の特徴をお伝えしてきました。5つのポイントをまとめておきましょう。

①ファン・ゴッホが画家として活動したのは27歳からの10年間
②ミレーやハーグ派の影響を受け、農民画を描いていた
③印象派の影響を受けるも、独自のテーマを貫く
④10年で約850枚もの油絵を描くなど驚異の制作ペース
⑤日本美術への敬愛

『ゴッホ展』で本物の迫力に触れれば、そのエネルギーに圧倒されることでしょう。ハーグ派や印象派、そして日本美術から影響を受け、独自の画風を作り上げた点はまさに天才アーティスト。先人に学び絵画という形で高いアウトプットを生み出したファン・ゴッホは、私たちビジネスパーソンのお手本とも言える画家です。

展覧会情報

ゴッホ展
会期:2019年10月11日(金)~2020年1月13日(月・祝)
会場:上野の森美術館
開館時間:9:30〜17:00(金曜、土曜は20:00まで開館)
*最終入場はそれぞれ閉館30分前まで
休館日:12月31日(火)、1月1日(水・祝)
展覧会ホームページ:https://go-go-gogh.jp/

文 美術ブロガー 明菜

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