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書評『美意識の値段』

「もっとアートを深くわかりたい」
「本物の価値をもった作品を見抜く審美眼がほしい」

アートに興味を持ち、美術館やギャラリーで何度か作品を観るようになると、誰しもがそんな思いを自然と心に抱くようになりますよね。作品と対峙した時、自分なりの確かな「目」があれば、アート鑑賞はもっと面白くなるはずです。そして、アート鑑賞で本物を見分ける「目」を育てることができたなら、それはビジネスシーンでも本物の「人」を見抜くための良い土台になってくれるかもしれません。

本書『美意識の値段』は、より充実した鑑賞体験を得たいと考えているアートファンから、そこで養った美意識をビジネスに応用したいと考えるビジネスパーソンまで、幅広く楽しめる本となりました。著者のユニークなキャリアを振り返る自省録や、30年以上にわたる仕事人生で見聞きした数々の珍しいエピソードも満載で、純粋な読み物としても楽しい1冊です。

引用:Wikipedia

著者・山口桂さんのユニークなキャリアの秘密とは

本書を著したのは、美術品オークションの老舗・株式会社クリスティーズ・ジャパンで代表取締役を務める山口桂(やまぐちかつら)さん。入社以来、一貫して「オークションハウススペシャリスト」として活躍してきました。オークションハウススペシャリストとは、ちょっと耳慣れない職業名称ですが、要するに美術品の鑑定・査定に詳しい専門職のことですね。いわゆる世間でいうところの「骨董品の目利き」といったほうがわかりやすいでしょうか? 

山口さんが得意とするジャンルは東洋美術・日本美術。六曲一双の屏風絵や浮世絵などの絵画作品をはじめ、仏像、茶道具、陶磁器、印籠といった各種工芸まで、あらゆる日本の古美術を見続けてきました。実は山口さんはいわゆる藝大・美大といった美術を専門とする大学出身ではなく、普通の四年制大学の文学部出身。それなのに、なぜ山口さんはアート業界のど真ん中でアート漬けの生活を送るようになったのでしょうか?

そのルーツは、浮世絵研究者だった父親による幼少時の徹底した英才教育にありました。将来は息子を研究者に育て上げようと考えていた山口さんの父親は、学校とは別に、山口さんにきめ細かい家庭内教育を施し、日本文化を徹底的に叩き込みました。まるでそれは“日本美術史家養成ギプス”のようだったのだとか。

たとえば、小学生の時には京都・奈良を巡る勉強旅行に連れて行かれ、仏像や建築、茶室や襖絵を片っ端から見て回り、帰りの新幹線の中では厳しい口頭でのテストが待っていました。そこで父の質問に答えられないと、弁当を買ってもらえなかったのだとか。まさに星飛雄馬も真っ青な日本文化スパルタ教育が行われていたわけです。そんな、今だからクスリと笑えるような、強烈なエピソードも本書で披露されています。

オークション業界の舞台裏を味わう

続いて本書で興味深いのが、いわゆるオークションハウスを取り巻く人間模様の面白さです。美術品オークションにおける美術品の査定方法や、オークションでの値段の付け方、華やかなオークション現場で起こっている「買い手」と「売り手」の駆け引きやオークショニア(司会役)の仕事内容など、普段私達がテレビやドラマくらいでしか馴染みのない美術品オークションの舞台裏が、豊富なエピソードを交えながらわかりやすく解説されています。

これが読んでいて本当に面白いのです。「もうおしまいなの?」と誘惑するような調子で買い手を煽るセクシーな女性オークショニアの存在や、名前も連絡先も寄越さず、まるでスパイ映画さながらに匿名の文書で美術品査定の打ち合わせ日時を指定してきた売り手、興奮のあまり、オークション中に心臓発作で倒れてしまった買い手など、美術品オークションに関わる人々を巡る様々なストーリーは本当に面白い。ページをめくる手がとまりません。

特に読み物として楽しめるのが第3章「美術品を巡る世にも不思議な物語」です。本章では、山口さんが日々の美術品査定業務の中で実体験した数奇な逸話がたっぷり収録されています。鑑定に出向いたらそこは反社会的勢力の事務所だったことや、166万ドルで落札された超高額の壺を、顧客希望によりハンドキャリー(手持ち)で顧客の元まで届ける羽目になったこと、タタリとしか思えないような、美術品が起こした不思議な事件など、これまたオークションの人間模様以上に意外な逸話にあふれているのです。

大多数の庶民にとって「非日常」でもあるオークション。本書では、こうした知られざる舞台裏を、書上で臨場感たっぷりに追体験できるのが特徴です。

山口さんがどうしても解きたかった、日本美術の「謎」とは

山口さんには、クリスティーズで査定の仕事に長年携わる中で、どうしても紐解きたかった謎がありました。それが、「世界中の美術館・博物館がなぜこれほど熱心に日本美術を収集しているのか」という素朴な疑問です。

実は、茶道具などを筆頭に、日本美術には将来の値上がりを期待した投資的旨味はそれほどありません。なぜなら、茶道文化は日本にしか存在しないからです。また、西洋のいくつかの国々とは、第二次世界大戦で敵国同士として疎遠になった時期もありました。それにもかかわらず、明治開国から現代に至るまで、西洋の一流コレクター達は日本の美術品を一貫して熱心にコレクションし続けてきたのです。これは何を意味しているのでしょうか。確かにこれは謎です。

それから30年経過した現在、山口さんにはその答えが解けたようです。その答えとは、

“・・・(中略)日本美術品がそもそも世界の如何なる美術品と比較しても美しく、繊細でバラエティに富み、技巧に優れ、世界中のコレクターや美術館を魅了する程のクオリティを持っているからに他ならない。”

とあります。そう、つまり日本美術は美しくて優れていたからなのです。だから、欧米の超一流の目利きたちは金銭的な計算などを抜きにして、日本美術を手元に置きたがったのです。

だから、私達日本人は、自分たちのご先祖様が大切に守り抜いてきた価値ある文化財を、もっと自信を持って楽しんで愛でていけば良いのでしょう。「美意識」を身につけるなら、世界で最も美しい美術品にあふれた日本は最適な学び場なんですね。

それでは、アートをより深く理解し、楽しむための審美眼は一体どうやったら身につくのでしょうか? 

アートを観る目は楽しんでこそ身につくもの

実は冷水を浴びせられるようですが、アートを仕事に活かす、という即物的な視点に対しては、山口さんはハッキリと否定的に言い切っています。

“これも特に最近聞かれることが増えた質問だが、「アートやそれを巡る教養はビジネスにも活かせるか」と云う物だ。正直に云うと、「はい、此処がこの様に活かせます」と云う類いの答えは持ち合わせていないし、もし仕事に役立てようと云う目的でアートに触れようと云う発想をするなら、それはアートや美意識の本質を捉えていない故だと思う。”

一瞬ここを読んだ時、「あぁ、厳しいな」と感じてしまうかもしれません。でも、よく読み込んでみると、山口さんは決してビジネスにおけるアートの力を否定しているわけではないのです。こう書いたそのすぐ後で、松下幸之助や松永安左エ門など、ビジネスにおいて大成した著名な財界人が有数な美術コレクターであったことを引き合いに出して讃えています。また、山口さんの尊敬する骨董商からもらった座右の銘「人を見る眼はモノを観る眼、モノを観る眼は人を見る眼」と本書で2回も引き合いに出し、アートとビジネスの関係性についてちゃんと言及しているんですね。

つまり、山口さんが言いたいのは、ビジネスツールとして「効用」や「手段」のためにアートを利用しようとする短絡的な志向ではなく、アートそれ自体を純粋に楽しんだ結果として、その人自身の感性や美意識が磨かれていくのだということです。欧米の一流コレクターのように、楽しみながら優れた本物を見続けようとするその意志の力こそが美意識を育てる大きな原動力になるのです。

審美眼を鍛えるための3つのポイント

本書では、こうした観点を持つことを前提としつつ、数多くの「審美眼」を鍛えるための実践的なアドバイスが書かれています。ここでは、最後に3つだけ筆者が特に印象に残ったポイントを簡潔にご紹介します。

ポイント1: 優れた作品を集中して見続ける

まず第一に山口さんが本書冒頭で強調しているのが、とにかく評価の定まった最高級の良い作品を集中して見続けなさいというアドバイスです。最初に良い作品のイメージを頭の中に徹底的に叩き込み、脳内データベースを作っておくことで、悪い作品を見た時にその良作との「差分」が見えてくるのだといいます。これは骨董商の「鑑定」「査定」の基本的な考え方でもあり、“引き算”で考えることで大きく見誤るリスクを減らせるのだと言います。

また、優れた作品の中でも「本物」を観ることの重要性にも言及されています。たとえば昨今、京都・奈良の寺院建築では、襖絵や壁絵などは全て複製に置き換えられた状態で拝観することが一般的ですが、やはりこうした複製からは本物だけが持つ「アウラ」を読み取ることが難しいため、もっと本物を観る機会を設けるべきだ、との提言には非常に共感できるものがありました。

ポイント2:作品の「現代性」に注目する

山口さんは、どんな古美術も、それが作られた当時は「現代アート」であったことに注目します。数百年の間、名うてのコレクター達によって評価され続けたアート作品からは、その作品に「現代性」がしっかり内包されているのです。言い換えると、その時代の特徴や美意識を色濃く反映し、革新的な創造性を持った優れた作品だったからこそ、現代まで脈々と大切にコレクターの手を渡って大切にされ続けたということが言えるのですね。

だから、私達が作品を観る時、その作品の中には後世に引き継がれるだけの「現代性」が十分内包されているかどうかという視点を持つことで、作品の良し悪しを見通すことができるのです。

ポイント3: 美術を生活の中に取り入れてみる

日本人は、茶道具や各種工芸品のように、生活の中で使われる実用品に美意識を注いで美しい「道具」を制作し続けてきました。その中でもとりわけ優れたものが、現代では美術品として美術館・博物館で多くの人に愛でられているのです。

残念ながら戦後、西洋風の生活スタイルが定着する中で、「美術が生活にある暮らし」から日本人は遠ざかってしまいました。だから、美意識を鍛えたいと考えるなら、ぜひ生活の中にアートを気軽に取り入れてみると良いでしょう。好きな絵や写真、置物、花活けなどを置いて即席「現代床の間」を作るのも良いかもしれません。生活の中でホッとできる空間を作り上げようと試行錯誤することで、自分自身の独自の美意識が養成されていくのです。

最後にもう一度まとめておきましょう。本書『美意識の値段』を読む時、特にお薦めしたい注目ポイントは以下の3点です。

1オークションハウススペシャリストの仕事内容や、オークションの舞台裏
2オークション業界を取り巻く人間模様の面白さや、作品にまつわる多彩なエピソード
3審美眼を本質的に鍛えるための豊富なアドバイス

30年以上もの間、アートビジネスの第一線で活躍を続けてきたプロが、業界の裏話から審美眼の鍛え方まで軽妙洒脱に語り尽くした1冊。読み物としても、自己啓発目的で手をとっても楽しめる今月一押しの美術書です。

[書籍情報]
新書: 208ページ
出版社: 集英社 (2020/1/17)
ISBN-10: 4087211088
ISBN-13: 978-4087211085
発売日: 2020/1/17

文  かるび

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