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深セン・ダーフェン油画村で考える「アート思考」とは何か

2019.05.15

オフィスにアートを飾るなら”オリジナル作品”が良いという方もいれば美術館でみた有名作品の精巧な”複製画”が良いという方もいらっしゃると思います。世界の複製画の6割を中国の小さな村が作っていたのはご存知でしょうか。果たしてそこにクリエイティビティはあるのでしょうか。

世界のアート工場ダーフェン油画村とは

中国の深セン(深圳)といえば、かつては世界の工場と呼ばれていましたが、今やハイテク産業の集積地として誰もが知るところとなりました。

世界中のビジネスパーソンから最新テクノロジーで注目を浴びる深センの郊外に複製画を大量生産して世界に輸出するダーフェン(大芬)という村があります。

英語ではDafen Oil Painting Villageと表記されています。

1989年、香港から黄江(Huang Jiang)さんが20人ほど職人を連れてダーフェンに移り住んだことがきっかけで、この村は大きくかわりました。アーティストを募って複製画を量産して輸出し始めたのです。

アメリカの大手スーパーなどから一度に10万枚を超える発注が入るようになり、いっときには世界の複製画市場の6割がこのわずか400平方メートルほどの小さな村で生産されていたといわれています。

ホテルや高級マンション、オフィスデザインをするようなインテリア会社などが主に購入しているほか、ヨーロッパの土産物屋で販売するためにも輸出されています。

2015年の記録では、ダーフェンのアート売上は約600億円(約42億中国元)以上にものぼっています。

私たちはクリエイティビティの宝庫であるアート・バーゼル香港を訪問した翌日、コンセプトが真逆とも言えるこの複製画の村ダーフェンに向かいました。

複製画はオフィスに飾るアートかデザインか?

ダーフェン油画村に入ると油絵独特の香りが充満します。

通りにはぎっしりとギャラリー兼アトリエや美術用具店が並びます。アート作品の展示販売だけではなく、その場で描いている姿も見ることができます。

よく見てみると手元にはスマホがあったり、タブレット端末が立てかけてあったりと、画面に映るデジタルの有名画を見ながら複製画を作っている様子がわかります。

多くのギャラリーで複製画が1作品約500円(30元)で販売されていました。

ひとえにアート作品といっても数千万円の作品が続々と売れていくアート・バーゼル香港とは実に対照的です。

前日にアートバーゼル香港でみたドーパミンを放出させるようなクリエイティブな作品とはうって代わり、模倣品とわかっている有名画には既視感だけがあり、訴えかけるメッセージが感じられません。

もしかしたら、複製画はあくまで空間を満たすという課題を解決するものであり、アートではなくデザインだと言えるかもしれません。

生涯で1枚しか売れなかったゴッホの作品が年間数億円の市場に

2018年に日本でも公開された『世界で一番ゴッホを描いた男』(原題は『China’s Van Goghs』)という映画はダーフェン油画村の趙小勇さんを主人公とした映画です。

趙さんは、自分がつくる精巧なゴッホの複製画が、ヨーロッパのギャラリーに需要があって輸出されているのだと信じていました。

しかし、美術館の土産物屋で自分の作品が販売されていることを知りショックを受けます。

どうしてもゴッホの原作を見たいと思った彼は、奥さんを説得し、ついにオランダのゴッホ美術館に行き、原作を見る夢をかなえます。

ゴッホの原作を目にした彼はその後、複製画を描き続けることに苦悩することになります。

若くして自死したゴッホはその生涯においてほとんど作品が売れなかったことで有名です。しかし、この村では至るところでゴッホの作品が複製され、ゴッホ作品だけでも年間数億円のマーケットを築いているのは皮肉に感じられます。

映画の中で趙さんが職人の在り方について苦悩するように、印刷技術が向上し3Dプリンターやロボット技術が発達する中、液晶パネルに映るデジタル画像を手本に人の手で複製画をつくる姿は時代の流れに逆行しているともいえます。

追い打ちをかけるように、ダーフェンの住宅費が上昇し続けているため、若い画家は住み込みでの作業が難しくなっています。そのため、複製画の発注は、より人件費の安い別のエリアに移りつつあるようです。

ダーフェン油画村は郊外ながら駅からは近くシンセン中心部から約30分程度。周りは高層マンションが取り囲んでいる。

とはいえ、私たちが村を訪れた時には、映画にもなった趙さんのギャラリーの目の前で、まだ5歳ほどの少女がイーゼルに向き合い、夕日の写真を複製しようと筆を動かしていました。

複製画の村にクリエイティブは開花するのか

NHKも2013年に地球イチバン「世界一の油絵村~中国」という番組でこのダーフェン油画村について紹介しています。

この番組の冒頭、オランダのゴッホ美術館の近くのお土産物屋でゴッホの複製画を買おうとしていた旅行客へのインタビューがながれます。

旅行客が、地元のアーティストが描いたと思っていた精巧なゴッホの複製画が、実は中国から輸入されたものだと聞いて驚くシーンが印象的でした。

番組の中ではさらに、行政府が見回りをして著作権がきれていない作品を複製していないかチェックする様子や、工場の組み立てラインのようにひとつの絵を複数のパーツにわけて人が流れ作業のように同じパーツだけを何枚も描くシーンも放送されました。

私たちの訪問時、いくつかのギャラリーは著作権に疑問符がつく作品も堂々と販売していた

複製画の生産品質を上げるためには、複製する人の技術習得が必要不可欠です。

番組の中で、ある画家は「複製を通じて技法を学ぶだけでなく、絵に込められたメッセージや画家としての生き方、思想を学ぶ」と言っています。

モネの複製画ばかりを手掛けるある職人は、晩年に白内障を患ったモネを思い、複製画に自分なりの色彩のアレンジを加えていました。

中国では複製画を描く人を「画家」とは呼ばず、「画工」と呼ぶそうです。画家と呼ばれるには深セン市の公募展でオリジナル作品を提出し、3度入賞しなければならないということです。

番組の放映当時、8,000人が住むこの村で画家は143人。画家を目指すある青年は、複製画では自分の内面や個性を表現できないと語り、売れずともオリジナル作品で生計を立てようとしていました。

今から5年以上前に放映されたこの番組は、昨今注目されている「アート思考」について、たくさんの示唆を与えてくれているような気がします。

過去にクリエイティブだと評価された作品の模倣をすることで、技法を学び収入を得ることができます。しかし模倣は、より人件費が安い国に真似をされるか、テクノロジーにとって代わられることになります。

クリエイティブな作品を模倣する産業から、クリエイティブな作品そのものをつくる産業へのシフトは技法やロジックの延長線では実現しません。

アーティストがオリジナル作品を生み出すには、原体験に基づく強い思い、ビジョンまたは妄想が必要とされます。同時にそれを表現する技法とアーティストによるプレゼンテーションの能力が必要とされます。

それは、まさに昨今話題のアート思考そのものと言えます。では、複製画の技術を磨くダーフェンからはクリエイティビティは生まれないのでしょうか。

ダーフェン油画村に5年滞在した研究者が語る真実

2015年に日本で発行された『ゴッホ・オンデマンド 中国のアートとビジネス』W.W.Y.ウォング・青土社(原題『Van Gogh on Demand; China and the Readymade』 2013 by The University of Chicago)という非常に興味深い著書があります。

中国系のアメリカ大学院生という立場の著者がこのダーフェン油画村に5年間滞在して、実際に上記の趙さんのギャラリーでも仕事をしながら、このアートマーケットの業界構造を377ページにわたって徹底的に研究しています。

先の趙さんの映画も、NHKの番組も模倣についてネガティブにとらえています。しかし、そもそも現代アートでは、デュシャンが男性用便器にサインをして美術展に出展したことから始まったレディメイドの概念やアンディ・ウォーホールがシルクスクリーンという技術を使ってマリリン・モンローやスープ缶の絵を工房で大量に複製したことが転換点としてたたえられています。

このことを持ち出されたとき、模倣に対する偏見が揺らぎ始めます。さらに、本書で最も興味深い一行があります。

「高い生産率と画家の技術の明白に非機械的な形態の間には逆相関があることに留意すること」P.77

驚くことにダーフェンの画家たちは有名作品を模倣した油絵を、納期に間に合わせるために一日に数十枚も描いているそうです。趙さんはゴッホの向日葵の下書きを2分30秒で仕上げています。

早く大量に作品を描いている様子を一見しただけでは、人間が絵を描く機械のようだと思われてしまいます。しかし、彼らの生産率が上がるとき、既に彼らは原作を見ることなく、自発的に、自由に、非機械的に描くようになっているというのです。

さらに、2001年に中国が世界貿易機関(WTO)および貿易関連知的所有権協定に参加したことで中国政府の意識が変わり始めます。2004年にはダーフェン村を文化産業示範基地として中国で4か所しかない文化的な栄誉を与えました。

2007年、中国が世界知的所有権機関の著作権条約に調印した年、ダーフェンには美術館が設立されました。政府は中国美術学院などから「原創画家」というオリジナル作品を描く画家を呼び寄せ住宅補助を与えて滞在させます。

さらには、ダーフェンを舞台に、主人公がオリジナル作品の創作に目覚めるという恋愛ドラマを二作品も制作し公開させています。

中国政府の文化政策は2010年に上海国際博覧会でダーフェン村館を開設し世界に大々的に公開するに至ります。

テック業界ではイノベーティブと称賛される深セン

ダーフェンから電車で30分ほどのところに秋葉原の数倍の規模とされる中国最大の電気街 華強北 があります。

そこではあらゆる電子部品が取り扱われていて、著名なプロダクトの模倣品も並びます。

本物を作っている工場が近くにあるわけですから、どの部品をどう組み合わせれば模倣できるのかわかってしまうのでしょう。

その深センで、今やDJIのようなハードウェア領域やテンセントのようなコンテンツ領域のベンチャーが次々と誕生しています。

模倣で得た技術が酸素となり、一部のイノベーターという火種が入りこんだことで一気に炎となって広がったかのようです。

ダーフェンで考えるアート思考の可能性

誰の中にもアート思考の芽はあると思います。あとはそれを表現するための技法があり、周りでアート思考を表出している人がいる、そのような環境があれば、クリエイティビティを発揮しやすくなるのかもしれません。

ダーフェンにおいても、内なる思いを発揮してクリエイティビティで成功する画家が登場する可能性があります。その火種が連鎖して、模倣で得た技術が一気に開花して大物アーティストが続々と輩出される村になるのかもしれません。

または、オペレーションの模倣に慣れ親しんだ村は居心地の良い商習慣に流されてゆっくりと衰退するのでしょうか。(2017年にはアートの世界的オンラインマーケットであるArtsyが「The World’s Art Factory Is in Jeopardy(世界のアート工場が危機に至る)」との記事をだしています。)

私たちがダーフェンをぐるりとまわりまた趙さんのギャラリーの前に戻ってくると、そのたった30分ほどの間で、先ほどの少女が、模倣している写真よりもはるかに美しい夕日を描き終えようとしているところでした。

(参考)香港からダーフェン油画村へのアクセス

九龍半島のTsimShaTsui東側にあるHungHom駅から電車に乗って40分ほどで香港とシンセンの境であるLoWu駅に到着します。

そこからイミグレーション手続きをすればその先はシンセンです。

シンセンに入ったとたんほとんど英語が通じませんし、地下鉄のチケットはQRコード決済か中国元しか使えず、さらには電車に乗るために手荷物検査まであるので少し戸惑います。

(西九龍に2018年に開通した高速鉄道を使えば15分ほどでシンセンにアクセスが可能です。)

シンセン側に入り、Luohu駅から地下鉄Line1を2駅乗り、LuoJie駅でLine3に乗り換えて8駅過ぎればDafen駅です。

Line3は途中から地下鉄を抜けて高架を走りますが、郊外に向かって走っても高層マンションがどこまでも立ち並んでいる様子がシンセンの急発展ぶりを感じさせてくれます。

ダーフェン駅1番出口を降りて、ウォルマートやマクドナルド、スターバックスなどが並ぶショッピングモールを左手に5-10分歩くとダーフェン油画村の入り口です。



文・写真 J.N by ArtScouter

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